43城目は向羽黒山城。蘆名盛氏が隠居城として築いた巨大な山城だ。
鎌倉時代から続いた蘆名氏は、徐々に会津に勢力の拡大を図り、戦国時代には奥州において最大の勢力を持つようになった。
この蘆名氏の全盛期を築いたのが16代盛氏で、現在の新潟県東部から福島県のほぼ全土を掌握し100万石の会津太守と称された。
盛氏は永禄4年(1561)に家督を譲り、あしかけ8年の歳月を費やし隠居城として向羽黒山城を築城。
隠居の身として向羽黒山城に築城中から居住していたが、実際は大御所として全権を握り采配を振るっていた。
盛氏が天正8年(1580)に没した約9年後、磐梯山麓の「磨上原合戦」で伊達政宗に大敗を喫し、約400年に渡り会津を支配した蘆名氏は滅亡した。
その後、伊達氏、蒲生氏の支配を経て、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津領主となった。
景勝は会津入り直後から廃城となっていた向羽黒山城を大改修したといわれ、ここを徳川戦の最後の砦と想定していたとの説もある。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで敗れた上杉氏は米沢に移封となり、向羽黒山城も破壊された。

向羽黒山城は会津盆地の南方、阿賀川沿いに位置する標高約408mの岩崎山に築かれた山城で、阿賀川を天然の水堀としていた。
山頂部に一曲輪を置いて、尾根伝いに二曲輪、北曲輪、三曲輪、伝盛氏屋敷など多数の曲輪が配置されていた。


三の丸広場(馬場跡)
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げんべ沼
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虎口
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土塁と堀
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展望所からの眺望
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一曲輪の長大な竪堀
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一曲輪虎口
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土塁と堀
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一曲輪
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一曲輪上
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二曲輪上
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二曲輪からの眺望(阿賀川・鶴ヶ城方面)
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見学時間:1時間25分

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向羽黒山城は、車を移動(2か所)すると見学しやすかったが、三曲輪からの散策路での案内表示が不十分で多少迷ってしまった。各曲輪、土塁や堀がよく残っており、特に一曲輪の竪堀が印象的な城であった。



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