34城目は小机城。15世紀頃に南武蔵の軍事拠点となっていた城だ。
小机城の築城時期は定かではないが、15世紀半ば頃(室町時代)までには築城されていたと考えられている。

この城が歴史に登場したのは、文明8年(1476)に始まる長尾景春の乱の中で、文明10年(1478)に起きた攻防戦である。
扇谷上杉氏の重臣・太田道灌が攻撃し、約2か月をかけて落城させたとされる。
その後、小田原北条氏の関東進出のなかで重要な軍事拠点として小机城を再構築し、小机一帯を支配した。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めでは戦闘の記録はなく、徳川家康の関東入りの後に廃城となった。

小机城は、鶴見川に突き出た丘陵上に位置する。
高さ約20mの台地の上に、二つの曲輪からなる主郭部があり、それぞれ西曲輪、東曲輪と呼ばれている。現在は本丸(西曲輪)、二の丸(東曲輪)の位置づけとなっているが、どちらが本丸であったかは定かではない。
両曲輪はつなぎ曲輪を介して結ばれており、行き来できる構造になっている。主郭部の周囲は、北側を中心に幅広く深い空堀で囲まれている。
現在は、「小机城址市民の森」として整備され、巨大な空堀や、土塁、本丸、二の丸などの主要な遺構が、ほぼ原形のまま遺されている。

深い空堀。右櫓跡
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井楼跡。武器庫があったといわれている。
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櫓台に続く土塁。高さ約2m、上程幅約2.5m、基底幅約5m。
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東曲輪広場
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西曲輪に続く堀底道
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西
曲輪。北側より
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西曲輪南側の模擬復元された冠木門
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西曲輪南側から冠木門への通路
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西曲輪南側の空堀
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富士仙元
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第三京浜を挟んで富士仙元側からの景観。左小机城址
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見学時間:約50分(富士仙元を含む)

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小机城は、すぐ近くに住宅が建っているような場所でありながら、主要部の曲輪、土塁、空堀などの遺構がよく遺っており、綺麗に整備もされている。中でも張り巡らされた深く巨大な空堀が印象的な城であった。



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