26城目は岩櫃城。岩櫃山の中腹に築かれた中世の山城だ。
岩櫃城は、年代は定かではないが、南北朝のころ築城されたと考えられている。

この城の城主として最初に名前が出てくるのが吾妻太郎行盛である。
行盛は南北朝時代、南朝方の里見氏に攻められ吾妻川原において自害したという伝説(岩櫃城落城伝説)がある。
その後行盛の子千王丸(斉藤越前守憲行)が岩櫃城を奪回し、その子孫が戦国時代までこの城を本拠として東吾妻を支配した。

永禄6年(1563)、武田信玄は上州侵略のため、家臣真田幸隆に岩櫃城攻略を命じた。ときの城主斉藤憲広(基国)は堅城を利して奮戦したが、落城。岩櫃城は武田氏の手中に落ち、武田信玄は幸隆に吾妻の守護を命じた。

天正2年(1574)、幸隆が世を去り、岩櫃城主には長子の信綱が収まったが、翌年、長篠の戦いで信綱、昌輝が戦死したため、真田家は三男の昌幸が相続した。その後、昌幸の長男信幸に引き継がれた。

天正18年(1590)、北条氏の滅亡により、信幸が初代沼田城主となったことから、岩櫃城は沼田の支城として、重臣出浦対馬守を城代とした。

慶長20年(1615)、徳川家康が発した一国一城令により破却された。

岩櫃城は、岩櫃山(標高802.6m)の中腹東面に築かれた中世の山城。
頂上より約200m下がった尾根に本丸、二の丸、中城が続き、少し離れた北東に天狗丸という出丸、そのさらに北東には支城である柳沢城が位置していた。
各曲輪間には、竪堀や横堀が蜘蛛の巣のように巡らされていた。
城郭の規模は136haと上州最大規模を誇り、後に甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並び武田領内の三名城と称された。


観光案内所の上にある登山口から少し上ったところに分岐があるので、左折して尾根通りを進む。
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中城手前の堀
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中城跡
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本丸と二の丸の間の堀
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本丸から見た竪堀
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本丸跡の碑
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北虎口側から見た本丸
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本丸北枡形虎口
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出浦渕に向かう途中にある橋台遺構
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出浦渕。出浦対馬守(昌相)の屋敷跡であったといわれている
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見学時間:かなりゆっくり回って約1時間(出浦渕、天狗丸の見学約15分を含む)

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岩櫃城は山城ではあるが、観光案内所を起点にすれば容易に見学ができる。
地形を利用した典型的な山城で、各所に配置されたV字形の堀が印象的な城であった。



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